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東京高等裁判所 平成6年(う)980号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人Aを懲役五年に、被告人Bを懲役四年六月に処する。

原審における未決勾留日数中、被告人Aに対しては五六〇日を、被告人Bに対しては五〇〇日を、それぞれその刑に算入する。

被告人Aから、押収してある偽造運転免許証二通(当庁平成六年押第三四一号の1及び2)の各偽造部分を没収する。

原審における訴訟費用は、被告人両名の連帯負担とする。

理由

一  本件各控訴の趣意は、検察官長沢潔作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人綿引光義(被告人A関係)及び弁護人木幡尊(被告人B関係)各作成名義の各答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

二  所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、原判決は、本件各公訴事実のうち、被告人両名が、Cと共謀して、平成四年三月九日、川崎市所在のワコーレ甲野[2]において、Dに対し、けん銃様の物を突きつけたり、同人の手足を縛るなどの暴行を加えたりして、その反抗を抑圧した上、同人所有の現金八万円及び普通乗用自動車など二〇点を強取したとの公訴事実(平成四年一二月三日起訴)について、被告人両名には、Cの指示に反して行動する期待可能性が無く、強盗の故意があったとは認められないとして、被告人両名に対しそれぞれ無罪を言い渡し、被告人両名のそれぞれのその余の各公訴事実についてはいずれも有罪と認めた上、被告人Aを懲役二年六月に処する、被告人Bを懲役二年に処するとしている。しかしながら、関係各証拠を総合すれば、右強盗の公訴事実に関し、被告人両名が自らの意思で強盗の犯行に加担したものであることは明らかであって、期待可能性の不存在及びこれを理由とする故意の阻却を問題にする余地は全くなく、被告人両名につき、強盗罪が成立することは明らかである。したがって、被告人両名に対し、いずれも強盗罪の成立を否定して無罪を言い渡した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りがあり、ひいては、原判決の被告人両名に対する量刑は、いずれも軽きに失して不当であるというのである。

三  原判決は、平成四年一二月三日起訴にかかる、「被告人両名は、Cと共謀の上、平成四年三月九日午前七時一〇分ころから約二〇分間にわたり、川崎市川崎区《番地略》所在のワコーレ甲野[2]駐車場及び九〇二号室のD(当二五年)方において、同人に対し、けん銃様の物を突き付け「騒ぐとばらすぞ。」などと申し向けて脅迫し、さらに、同人に目隠しをし、同人の手足を衣類で縛りつけてその反抗を抑圧して同人所有の現金八万円及び普通乗用自動車など二〇点(時価合計約七七五万八、五〇〇円相当)を強取したものである。」との公訴事実(以下「本件公訴事実」という。)について、次のような理由を掲げて、被告人両名はいずれも無罪としている。すなわち、関係各証拠によると、被告人両名が、Cに命じられて、Dの手足を縛るなどしてその反抗を抑圧した上、室内を物色し、同人から現金八万円や普通乗用自動車などを強取したことは認められる。しかし、被告人Aは、本件直前にCから同被告人の足元に向けてけん銃を発射されていたところから、被害者のマンションまでは事情がよく分からないのにCに命じられるままに同行し、その後も右直前の発砲の恐怖から同人に命じられるまま、同人の指示することを実行していたにすぎない。被告人Bも、直前に行われた被告人Aへの発砲から、Cは何をするか分からず意に反するときはけん銃で撃たれるかも知れないと考えて、同人の言うとおりに行動していたことが認められる。そして、本件当時、被告人らがCの直前のけん銃発射による恐怖から解放され、自由に行動しうる状態に復していたことを認めるに足りる証拠はないから、被告人らに、直前にけん銃を発砲し、その後もそのけん銃を携帯していたCの指示に反して行動する期待可能性は無かったものというべきであり、被告人らに強盗の故意があったものと認めることはできず、結局、本件公訴事実については犯罪の証明がないことになる。原判決が、以上のような判断を示していることは、所論指摘のとおりである。

四1  そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、本件公訴事実にかかる関係各証拠によれば、被告人両名及びCは、平成四年三月九日午前七時一〇分ころ、被告人Bの運転する普通乗用自動車(トヨタクラウン。以下「クラウン車」という。)に乗って、川崎市川崎区《番地略》所在のマンション「ワコーレ甲野[2]」(以下「ワコーレ甲野[2]」という。)の駐車場に至り、その直前に普通乗用自動車(ポルシェ。以下「ポルシェ車」という。)を一人で運転して同駐車場に到着し、下車したD(昭和四二年三月六日生)の近くにクラウン車を止め、Cと被告人Bが車から降りてDに近づいたこと、Cは、Dに対し「お宅、Eさん」と声をかけ、Dが自分はEでない旨答えると、クラウン車に乗って電話連絡を取ることを要求し、黒いセカンドバッグの中に入れたけん銃様の物をちらつかせながら、Dの横に付いて同人をクラウン車の後部座席に乗り込ませたこと、Cらは、それまで後部座席で横になって仮眠していた被告人Aも起きて、Cと同被告人とでDを挟む形で後部座席に座り、被告人Bが運転して若干クラウン車の位置を移動させる間、Cがセカンドバッグからけん銃様の物を取り出して、Dの腹部にその銃口を向け、「おまえのことは全部分かっている。騒ぐとばらすぞ。おまえの部屋に連れて行け」などと申し向けて脅迫したこと、その後、C及び被告人両名は、Cが指示してDを下車させ、自分たちも一緒に車から降り、CがDの背後にぴたりと付いて、その背中にけん銃様の物を入れたセカンドバッグを押しつけるようにし、Cから「こいつを絶対に逃がすんじゃないぞ」などと言われた被告人両名がDの左右から同人を挟み、このような形でDを取り囲み、同人に案内させてワコーレ甲野[2]の建物内に入り、同建物の九階の九〇二号室である同人の居室に立ち至ったこと、C及び被告人両名は、同居室内で、CがDに対し「しゃべるな」「目をつぶれ」などと命じ、また、被告人両名がCからいろいろと指示を受けて、Dの顔にスエットズボンを被せて縛り、次いで同人を寝室に連れて行き、ベッドの上にうつぶせに寝かせ、その場にあったカマーバンドで同人の両腕を後手に縛り上げ、両足をスエットシャツで縛り、同人がほとんど身動きできないようにしたこと、そして、C及び被告人両名は、被告人Bにおいて、Dが腕にはめていた腕時計(ダンヒル製)を取り外してこれを奪い取り、自分の腕にはめたりし、また、被告人AがDの側で同人を見張る間、Cが家具の引き出しを開けるなど金品を物色し、被告人Bも、Cから「お前も見ろ」などと言われて、引き出しの中などを捜し回り、こうして捜し出した現金八万円及び腕時計、ネックレス、印鑑、印鑑登録証、キャッシュカードなどをその場にあった買物袋に入れて、九〇二号室から奪い去ったこと、さらに、C及び被告人両名は、右建物外に出るや、室内で奪ったポルシェ車の鍵を使って、被告人Bがワコーレ甲野[2]の駐車場に止めてあったポルシェ車に乗り込み、これを運転し、Cが運転し、被告人Aが同乗するクラウン車とともに立ち去ったことなどの事実が認定できる。

そして、右認定のようなDから金品を強奪した本件強盗の犯行の具体的状況に照らし、被告人両名も、Cとともにその実行行為を分担していることは明らかである。さらに、被告人両名の右のような外形に表れた行動自体から、被告人両名にはいずれも、その実行行為を分担するに当たり自分たちがいかなる行為を行っているかそれぞれに十分な認識のあったことはいうまでもなく、また、これに加担する意思のあったことも肯認できる。ひいては、Cを含め三名相互間で、右のような認識のもとに本件強盗の犯行を行うことにつき相互に意思の連絡のあったこと、すなわち共謀のあったことも十分に認定できる。いいかえると、被告人両名いずれにも構成要件的な意味での強盗の故意があったことは、その行った行為自体から十分に肯認できるのである。

2(一)  ところで、原判決は、期待可能性のあることが故意の構成要素の一つであるとの前提で、本件においては被告人両名にはいずれも期待可能性がなかったとの判断を示している。そこで、この点につき考えるに、まず、関係各証拠によれば、被告人ら相互の関係やCとの関係等については、次のような事実が認められる。すなわち、

(1) 被告人Aは、昭和六一年一二月に刑務所を仮出獄した後、一時暴力団乙山会丙川組内丁原組の組長の下でいわゆる人夫出しの仕事などをしていたが、同組を破門された後の平成元年五月ころから、神奈川県内で新聞拡張の仕事をしていた者であり、平成四年三月当時、神奈川県小田原市内に住居をもっていたほか、横浜市中区《番地略》所在のマンション「エクシール戊田」(以下「エクシール戊田」という。)三〇四号室でもときどき寝泊まりしていたこと

(2) 被告人Bは、一七歳ころから暴力団組織に身を置くようになり、平成四年三月当時、暴力団乙山会甲田一家の幹部の地位にあった者であること

(3) Cは、本件当時、暴力団乙山会乙野一家の組員であった者であること

(4) 被告人Aと被告人Bとは、同被告人のいわゆる舎弟に当たる者が被告人Aを知っていたことから、その者の紹介で平成三年秋ころ互いに知り合い、その後覚せい剤の関係などで付き合いが続いていたこと

(5) 被告人Aは、Cとは、平成四年二月ころ、双方を知っていた暴力団関係者の紹介で知り合い、覚せい剤などの関係で繋がりができるとともに、その後はCが被告人Aの使用するエクシール戊田三〇四号室にたびたび出入りするようになっていたこと

(6) さらに、被告人Bは、Cとは、本件の一〇日位前ころ、川崎市内のゲーム喫茶で被告人Aと一緒にいた同人と顔を合わせ、同被告人から紹介を受けて知り合い、その後同被告人方などで数回会ったことがあるという間柄であったこと

などが認められる。

(二)  また、関係各証拠を総合すると、本件犯行に被告人らが加担するに至った経緯、事後の状況等は、次のようなものであったと認められる。すなわち、

(1) 被告人Aは、平成四年三月八日の夜から、Cら遊び仲間数名と一緒に、エクシール戊田三〇四号室において、チンチロリンと称する賭博をして遊んでいたが、翌九日の真夜中、Cの指示で、被告人Aがポケットベルで被告人Bを呼び出し、間もなく同被告人が右三〇四号室にやって来て、同被告人も被告人Aらと一緒にチンチロリンに興じていた。その後しばらくして、被告人Aは、勝負に負けてしまったことから、以前Cに貸していた金を返して貰おうと思い、その場で同人に貸金の返済を求めたところ、Cは、急に怒り出し、所持していたセカンドバッグの中からけん銃を取り出した上、被告人A以外の者に対し、全員部屋の外に出るように命じた。そして、Cは、右三〇四号室で被告人Aと二人だけになるや、同被告人に床に正座するよう命じ、床に正座した同被告人の膝近くの床に向けてけん銃から弾丸を一発発射し、右弾丸を床に命中させた。

(2) 被告人Bは、その際、右三〇四号室の外から、ドア越しに右室内の様子を窺っていたことから、ドアを通して右けん銃の発射音を聞いた。

(3) その直後、Cは、ドアを開けて、被告人Bに中に入るように言い、同被告人が右三〇四号室の玄関に入って来るや、同被告人に向かっていきなり「ちょっとタタキに行くから付き合え」と告げた。これに対し、同被告人は、いったんは断ったものの、Cからいったん話を聞いた以上付き合わないわけにはいかないなどと強く言われ、同被告人としてもそれ以上断ることをしなかった。また、Cは、被告人Aに対して「いくぞ」などと申し向けた。

(4) そして、Cは、被告人両名を連れて右三〇四号室を出て、被告人Bがレンタカー会社から借りて乗って来ていたクラウン車に乗り込み、被告人Bが運転席に、Cが助手席に、被告人Aが後部座席に乗車して、Cの指示で川崎方面に向かって出発した。被告人Aは、Cが被告人Bに言った言葉が聞こえなかったこともあって、始めのうちは自分が何のために連れ出されたのかよく分からなかったが、クラウン車に乗って出発したころには、Cが恐喝か何かを企んでいることは察するに至っていた。なお、Cは、右三〇四号室を出るころにはけん銃をバッグ内にしまった。

(5) Cは、被告人Bに対し、川崎市内のホストクラブ「丙山」に行くよう指示し、クラウン車が右ホストクラブの前に到着して、右ホストクラブ前に外国製の高級乗用車であるポルシェ車が止まっているのを見つけるや、更に同被告人に対し、「ホストが乗ったらあのポルシェをつけろ」などと指示した。なお、被告人Aは、クラウン車がエクシール戊田を出発した直後から、後部座席でいわゆるうたた寝をしていた。

(6) 同日午前七時前ころ、右ホストクラブの従業員であるDが、仕事を終えて帰宅するためポルシェ車に乗り込んで出発したことから、被告人Bにおいて、Cから指示のあったとおり、クラウン車を発進させてポルシェ車の後をつけ、ワコーレ甲野[2]の駐車場に至った。その後の本件犯行の状況は、前記1認定のとおりである。

(7) 被告人両名及びCは、クラウン車及びポルシェ車に乗ってエクシール戊田に帰って来るや、前記三〇四号室に入り、その場で、Dの部屋から奪ってきた物を出してみた。その後、Cは、ポルシェ車の自動車検査証の名義がD本人の名義になっていることを知ったことから、同車を直ちに売却しようと考え、まず、被告人両名に対し、川崎区役所に行ってDの印鑑証明書を取って来るように言い付け、被告人両名において、直ちに同区役所に赴いてその交付を受け右三〇四号室に戻って来るや、被告人Bに対し、その場にいた被告人Aの当時の内妻F子を連れてポルシェ車を売却してくるように指示した。そこで、被告人Bは、F子を連れてポルシェ車を運転して横浜市内の中古車販売会社を訪れ、必要な書類を示した上同車を三六〇万円で買い取らせた。その後、被告人Bは、右三〇四号室に戻ったが、Cには、二八〇万円で売れたなどと嘘を言って、差額はそのまま自分のものとし、残りの二八〇万円のうち、被告人両名が八〇万円ずつ取得し、Cが一二〇万円を取得した。

(8) また、被告人Aは、被告人BがDの腕にはめられていたのを奪ってきた腕時計(ダンヒル製)を質に入れ、これで得た二五万円のうち一五万円をCに渡し、残り一〇万円を被告人Aが取得した。

本件犯行の前後の状況は、以上のようなものである。

3  前記1認定の本件犯行の状況に、右2認定の被告人らとCとの関係、本件犯行に至る経緯や状況、本件犯行後における被告人両名の行動等を合わせ考慮すれば、被告人両名が、本件犯行当時、Cによってその意思を完全に制圧され、いわば動く道具として同人に使われていたものでないことは明らかである。

さらに、被告人らにつき、Cの意に反してでも本件犯行に加担する以外の行為に出ることを期待できたかどうかについてみるに、まず、被告人Aの場合、たしかに、前記2の(二)(1)認定のとおり、同被告人は、Cらと一緒にD方に赴く前、エクシール戊田三〇四号室において、Cから身体の近く目掛けてけん銃を発砲され、これにより、同被告人が極めて強い恐怖心を覚えたことは容易に窺うことができる。そして、その後、Cから「いくぞ」などと言われた際にも、もしこれを断れば、またCからけん銃を発射される恐れもあることから、同人に強くは逆らえず仕方なくCの指示に従ったものであることも十分に考えられる。また、被告人Bの場合も、Cの被告人Aに向けてのけん銃発砲行為をドア越しに聞いており、その後、Cから、強盗を誘われた際、被告人Bとしても、Cに逆らえばけん銃で撃たれる恐れもあり、強く反対できなかったという事情などは十分に認められる。

しかしながら、前記2の(二)(1)認定のとおり、Cの被告人Aに対するけん銃の発砲行為は、賭事をしていた際の一過性のできごとであり、Cが、同被告人あるいは被告人Bを強盗に駆り立てるために行ったものでないことは明らかである。そして、Cは、被告人両名を連れてエクシール戊田三〇四号室を出るころには、けん銃をバッグにしまい、その後は、けん銃を携帯していたとはいえ、被告人両名に対し、自分の指示に従わせるためにけん銃を突きつけたり、これを発射したりするような行為などは一切行っていない。また、被告人両名につき個別的に当時の行動等をみてみると、まず、被告人Aは、前記2の(二)(5)認定のとおり、クラウン車の後部座席でうたた寝をしていたものである。この点、同被告人は、捜査段階において、Cの計画した強盗では被害者に警察に被害届を出されて事件になってしまうと思い、ふてくされてふて寝をしたなどと供述し、また、原審公判廷においては、寝たふりをすれば何もしないで済むと思ったなどと供述しているが、Cに対し全く逆らえない状況にあったものでないことは明らかである。また、被告人Aは、前記1認定のとおり、D方において、同人に目隠しをしたり、その身体を縛るといった行為に及んでいる。次に、被告人Bについてみるに、同被告人は、Cから直接に自分に向けてけん銃を発砲された者ではなく、前記2の(二)(3)認定のとおり、Cから強盗の仲間に加わるように言われた際、いったんは断っていることが認められる。もっとも、同被告人は、その後Cから強く言われてCと行動をともにしているのであるが、その際にも、けん銃で直接脅されたというような事情は窺われない。また、エクシール戊田を出発した後における被告人Bの行動をみると、前記2の(二)(4)ないし(6)認定のとおり、同被告人は、クラウン車を運転して、ホストクラブ「丙山」に行き、更にD運転のポルシェ車の後を付けてワコーレ甲野[2]に赴いている。そして、同被告人は、D方においては、同人を寝室に連れて行き、被告人Aとともに、その場にあった衣類等を用いて、Dの手足を縛ったりし、その際、Cの指示を待つまでもなく、自ら進んでDのしていた腕時計を外して奪い取り、自分の腕にはめたりしている。さらに、被告人Bは、室内をCと一緒に物色している。以上のような被告人Bの行動を見る限り、むしろ同被告人は、まさに自己の利益になるようにその場で立ち回っているものと考えられるのである。

さらに、本件強盗後における被告人両名の行動も、被告人両名が、本件犯行当時、Cに対し完全に従属的な関係のみに終始していなかったことを十分に窺わせるものである。すなわち、前記2の(二)(7)認定のとおり、Cが被告人らにポルシェ車を直ちに売り払って換金する措置を取るよう命じているが、その際、被告人両名は、印鑑証明書を取りに川崎区役所に出向いており、さらに被告人Bにおいては、その後中古車販売会社に出向いてポルシェ車を売却する行為に及んでいる。ポルシェ車を売却して得た現金について、Cは、独り占めするのではなく被告人両名にもかなり大きな比率でその分配に預からせているのである。しかも、被告人Bにおいては、Cらに売却価格を過少に告げてその差額を自分のものにしている。さらに、前記2の(二)(8)認定のとおり、被告人Aは、被告人Bの奪って来たDの腕時計(ダンヒル製)を質入れして、これにより得た現金をCと分けあっている。すなわち、以上のような本件犯行後における被告人両名の行動は、被告人両名としても、本件犯行当時、Cの指示や命令には従わなければならない状況にあったとはいえ、本件犯行によって何らかの利益を得たいとの意思を有していたこと、いいかえると、被告人両名も自ら財物を奪取する意思で行動したものであることを十分に窺わせるものである。

なお、被告人Aは、原審及び当審各公判廷における供述中で、エクシール戊田三〇四号室で、Cから、「殺してやる」などと言われて至近距離からけん銃を発砲され、生きた心地がしなかった、しかも、Cからは、それ以前にも何回かけん銃で脅されたことがあったので、その後は到底Cに逆らえる状態ではなかったなどと供述している。また、被告人Bも、原審及び当審各公判廷における供述中で、Cはけん銃を持っていたことから、逃げたら撃たれて殺されるかも知れず、Cと一緒に強盗を行うことしか考えが浮かばなかったなどと供述している。しかしながら、前記2の(二)(3)ないし(6)で認定した本件犯行前の状況からすれば、被告人両名が、本件犯行前にCのもとから立ち去る機会もあったものと思われ、そのような行動に出ることも可能であったと認められる。現に被告人Aも、原審及び当審各公判廷において、その場から逃げることは可能であったなどと供述している。もっともこの点、被告人両名は、原審及び当審各公判廷における各供述中で、いったんCの許から逃げ出したとしても、その後自分や自分の家族がCから危害を加えられる恐れがあったから、そのような行動に出られなかったなどとも供述するが、その点は、警察等に保護を求めるなり、小さな町での出来事ならいざ知らず、しばらくCの許から身を隠すなりの行動を取ることは十分可能であったものと考えられ、そのことをもって、本件強盗を行う以外採るべき手立てがなかったなどとは到底言えない。

加えるに、前記2の(一)(2)認定のとおり、被告人Bは、一七歳ころから本件強盗当時まで暴力団組織に身を置いていたものであり、関係各証拠によれば、同被告人には、改造けん銃の所持及びけん銃用実包の所持にかかる銃砲刀剣類所持等取締法違反及び火薬類取締法違反の前科があることが認められる。また、被告人Aも、前記2の(一)(1)認定のとおり、かつて暴力団に関係したことのある者であり、関係各証拠によれば、本件犯行前にけん銃と関わりを持ったことが窺われる。すなわち、被告人両名とも、今回エクシール戊田三〇四号室において、初めてけん銃に接したというものではなく、したがって、本件犯行の当時、けん銃を持っている者に対して、どう対応するかということについてもそれなりの知識や経験を有していたものと思われる。

4  結局、以上に検討したところによれば、被告人両名が本件犯行に加担したのは、Cから加わることを要求されたためであり、これを拒絶すれば、場合によっては同人から自己の身体等に危害が加えられる恐れもなかったとはいえない状況にあったことは認められるものの、そのような危害を受けることを避け得る方法も十分に考えられ、被告人両名が本件に際し他に採り得る途も多くあったと考えられるのである。すなわち、以上に検討したような本件の具体的状況のもとでは、通常人に対しても、本件強盗の犯行に加担せず、Cの要求に対し別途適切な措置を講じることが期待できると考えられ、被告人両名につき、被告人らに特有の事情を考慮しても、本件において犯行に加担しないことを期待することは十分に可能であったと認められるのである。

したがって、被告人両名にはいずれも本件強盗の犯行につき故意がなかったと認定した原判決には、その前提として期待可能性を欠くと認めた点において事実の誤認があるというほかないのである。

五  以上から結局、本件公訴事実にかかる関係各証拠を総合すれば、被告人両名が、Cと共謀の上、Dに暴行を加えて、その反抗を抑圧した上、同人から金品を強取したとの本件公訴事実は、合理的な疑いを越えてこれを肯認することができるから、本件公訴事実につき犯罪の証明がないとした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがある。そして、被告人両名いずれについても、本件強盗の罪と原判決がそれぞれ認定判示する罪とは、刑法四五条前段の併合罪の関係に立つものであるから、原判決の各量刑もそれぞれ結論としては不当ということに帰する。各論旨は、いずれも理由があり、原判決は破棄を免れない。

六  よって、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八一条を適用して原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により更に各被告事件について次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

第一  被告人両名は、Cとの間で、Dから金品を強取することを共謀し、平成四年三月九日午前七時一〇分ころ、被告人Bの運転する普通乗用自動車(トヨタクラウン。以下「クラウン車」という。)に乗って、川崎市川崎区《番地略》所在のマンション「ワコーレ甲野[2]」(以下「ワコーレ甲野[2]」という。)の駐車場に至り、その直前に普通乗用自動車(ポルシェ。以下「ポルシェ車」という。)を一人で運転して同駐車場に到着し、下車したD(昭和四二年三月六日生)の近くにクラウン車を止め、Cと被告人Bが車から降りてDに近づき、「お宅、Eさん」と声をかけ、自分はEでない旨答えるDに対し、クラウン車に乗って電話連絡を取るよう要求し、黒いセカンドバッグの中に入れたけん銃様の物をちらつかせながら、Dの横に付いて同人をクラウン車の後部座席に乗り込ませ、Cと被告人AとがDを挟む形で後部座席に座り、被告人Bが運転して若干クラウン車の位置を移動させる間、Cがセカンドバッグからけん銃様の物を取り出して、Dの腹部にその銃口を向け、「おまえのことは全部分かっている。騒ぐとばらすぞ。おまえの部屋に連れて行け」などと申し向けて脅迫した。その後、被告人両名及びCは、Cが指示してDを下車させ、自分たちも一緒に車から降り、CがDの背後にぴたりと付いて、その背中にけん銃様の物を入れたセカンドバッグを押しつけるようにし、また、Cの指示に従い被告人両名もDの左右から同人を挟んで、Dを取り囲み、同人に案内させてワコーレ甲野[2]の九階の九〇二号室である同人の居室に立ち至り、同居室内で、CがDに対し「しゃべるな」「目をつぶれ」などと命じ、また、被告人両名が、Cからの指示に基づき、Dの顔にスエットズボンを被せて縛り、次いで同人を寝室に連れて行き、ベッドの上にうつぶせに寝かせ、その場にあったカマーバンドで同人の両腕を後手に縛り上げ、両足をスエットシャツで縛り、同人がほとんど身動きできないようにして、その反抗を抑圧した上、被告人BがDの腕にはめられていた外国製腕時計を取り外したり、被告人AがDの側で同人を見張る間、Cや被告人Bが家具の引き出しを開けるなどして金品を物色し、捜し出したD所有の現金八万円、腕時計、ネックレス、印鑑、印鑑登録証、キャッシュカード、自動車の鍵などを奪い、さらにワコーレ甲野[2]の駐車場に止めてあったポルシェ車に乗り込み、これを運転して立ち去り、もって右現金及び自動車等物品合計二〇点(時価合計約七六七万八五〇〇円相当)を強取した。

第二  被告人両名は、共謀の上、盗難車両である普通乗用自動車(横浜〇〇み〇〇〇〇号)一台につきこれが盗難にあった車両かも知れないことを認識しながら、被告人Bにおいて、同年四月二七日午後三時三〇分ころ、神奈川県川崎市《番地略》所在の中古自動車販売を営む株式会社丁川・カー・セールス(代表取締役G)第五センター事務所において、同センター所長Hほか一名に対し、別の車両の自動車登録番号標(横浜〇〇み〇〇〇〇)を取り付けた右普通乗用自動車一台を、これが盗難車両であるかも知れないこと及び他車両の自動車登録番号標を取り付けたものであることの情を秘し、右自動車登録番号(横浜〇〇み〇〇〇〇)により真正に登録されている自動車であって、自己が正当な処分権限を有するかのように装い、「買い取りの査定をしてくれ」などと言って右普通乗用自動車の買い取りの申込みをなし、Hらをしてその旨誤信させ、よって、同日午後四時三〇分ころ、同所において、同センター従業員Iから右普通乗用自動車の売買代金名下に現金二七五万円の交付を受けてこれを騙取した。

第三、一 被告人Aは、同年五月一一日午後五時ころ、東京都大田区《番地略》所在の中古自動車販売業戊原・オート事務所において、同店経営者JことKほか一名に対し、盗難車両である普通乗用自動車一台(横浜〇〇ぬ〇〇〇、自動車検査証上の使用者甲川株式会社(代表取締役L))を、これが盗難車両であることを秘匿するとともに、氏名欄に「M」、生年月日欄に「昭和36年5月21日」、本籍・国籍欄及び住所欄にそれぞれ「横浜市鶴見区《番地略》」と記載され、顔写真欄に被告人Aの写真が貼られた、偽造の有印公文書である神奈川県公安委員会作成名義の同公安委員会の記名押印のある自動車運転免許証一通(当庁平成六年押第三四一号の2)を、あたかも真正に作成されたものであるかのように装い提示して行使し、「八〇万円か九〇万円の間でお願いできませんか」「Lの長男坊だよ」などと申し向けて、自分が甲川株式会社の代表取締役Lの長男であって、右自動車の正当な処分権限を有するかのように装い、右普通乗用自動車を担保として金銭の借用名下に金員の交付を申し込み、Kらをして、その旨誤信させ、よって、そのころ、同所において、Kから借入金名下に現金七〇万円の交付を受けてこれを騙取した。

二 被告人Aは、同月一三日午後一時ころ、茨城県鹿島郡《番地略》所在の株式会社乙原レンタリース茨城神栖営業所において、自動車を借り受けるに際し、同営業所従業員Nに対し、前記一記載の偽造の有印公文書である自動車運転免許証一通を、あたかも真正に作成されたものであるかのように装い提示して行使した。

三 被告人Aは、同月二四日午後七時ころ、横浜市中区《番地略》丙田レンタカー神奈川株式会社関内営業所において、自動車を借り受けるに際し、同営業所長Oに対し、氏名欄に「P」、生年月日欄に「昭和36年6月3日」、本籍・国籍欄に「川崎市川崎区《番地略》」、住所欄に「川崎市川崎区《番地略》」と記載され、顔写真欄に被告人Aの写真が貼られた、偽造の有印公文書である神奈川県公安委員会作成名義の同公安委員会の記名押印のある自動車運転免許証一通(当庁平成六年押第三四一号の1)を、あたかも真正に作成されたもののように装って行使した。

(証拠の標目)《略》

(累犯前科)

1  被告人Aは、昭和五九年一一月二六日静岡地方裁判所沼津支部において、覚せい剤取締法違反及び道路交通法違反の罪により懲役二年一〇月及び罰金五〇万円に処せられ、昭和六二年三月九日右懲役刑の執行を受け終わったもので、右事実は、検察事務官作成の同被告人にかかる前科調書によってこれを認める。

2  被告人Bは、昭和五八年四月二二日横浜地方裁判所川崎支部において、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反及び賭博の罪により懲役二年及び罰金二万円(右懲役刑につき四年間執行猶予保護観察付き、昭和五九年三月二二日右猶予取消)に処せられ、昭和六二年六月七日右懲役刑の執行を受け終わったもので、右事実は、検察事務官作成の同被告人にかかる前科調書によってこれを認める。

(法令の適用)

1  被告人A

被告人Aの判示第一の所為は刑法六〇条、二三六条一項に、判示第二の所為は同法六〇条、二四六条一項に、判示第三の一の所為のうち、偽造有印公文書行使の点は同法一五八条一項、一五五条一項に、詐欺の点は同法二四六条一項に、判示第三の二及び三の各所為はいずれも、同法一五八条一項、一五五条一項にそれぞれ該当するところ、判示第三の一の偽造有印公文書行使と詐欺との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として重い偽造有印公文書行使罪の刑で処断することとし、判示第一の罪は前記累犯前科の項に記載の懲役刑の前科との関係で再犯であるから、同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で累犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲内で、後記情状を考慮して、同被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中五六〇日を右刑に算入し、押収してある偽造運転免許証二通(当庁平成六年押第三四一号の1及び2)の各偽造部分は、判示第三の各偽造有印公文書行使(同号の1は判示第三の三、同号の2は判示第三の一及び二)の犯罪行為を組成したもので、何人の所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれらを没収し、原審及び当審の訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文、一八二条により、原審における訴訟費用を被告人Bと連帯して被告人Aに負担させることとする。

2  被告人B

被告人Bの判示第一の所為は刑法六〇条、二三六条一項に、判示第二の所為は同法六〇条、二四六条一項にそれぞれ該当するところ、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条によりいずれも再犯の加重(ただし、判示第一の罪は同法一四条の制限内で)をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で、後記情状を考慮して、同被告人を懲役四年六月に処し、同法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入し、原審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文、一八二条により被告人Aと連帯して被告人Bに負担させることとする。

(被告人Aの原審弁護人の主張に対する判断)

被告人Aの原審弁護人は、被告人Aは、Cからけん銃を発砲されて脅迫されたため、やむを得ず判示第一の事実にかかる強盗の実行行為を行ったものであり、判示第一の事実につき、同被告人については、刑法三七条一項の緊急避難が成立すると主張する。しかしながら、前記四で検討したとおり、判示第一の事実にかかる関係各証拠によれば、Cが、判示第一の犯行直前に、エクシール戊田三〇四号室において、同被告人の身体の近くに向けてけん銃を発砲したという事実のあることは認められるものの、右発砲は、同被告人に判示第一の犯行に加担させるために行ったものでないことは明らかであり、前記四で認定した判示第一の犯行の際ないしその前後の状況に照らし、右発砲が刑法三七条一項にいう「現在の危難」に当たらないのはもとより、同被告人が現在の危難を避けるためやむを得ず判示第一の強盗の実行行為に及んだものでないことも明らかである。したがって、同被告人が判示第一の犯行に関与したことにつき、緊急避難ないし過剰避難が成立する余地はなく、原審弁護人の右主張は採用できない。

(量刑の理由)

まず、被告人両名の判示第一の強盗の犯行についてみるに、その犯行態様は、けん銃と思われるものを被害者に突き付けたり、被害者を縛り上げたりして、被害者方から金品を持ち去ったというものであり、まことに大胆で悪質である。もとより、被害者には何らの落ち度もなく、仕事を終えて自宅に戻ってきたところをいきなりこのような犯行に及ばれた被害者の恐怖心は大きいものがあったと窺われる。しかるに、今日に至るも被害者に対しては被害弁償はもとより慰謝の方途も講じられていない。また、被害額も七七〇万円余りと高額に上っている。次に、被告人両名の判示第二の犯行は、盗難車両の本来の車検証を改ざんするなどして犯行に及んでおり、その手口が巧妙である。また、被害金額も二七五万円であって、決して少ない額ではない。さらに、被告人Aの判示第三の各犯行は、自らの顔写真を貼るなどしてある、偽造の自動車運転免許証を数回にわたり安易に使用し、一件については詐欺を働いたものであり、これまた悪質な犯行である。そして、本件強盗及び詐欺の各犯行により、被告人両名とも二〇〇万円を超える不正な利益を得ている。さらに、被告人Aは、昭和五二年一二月に覚せい剤取締法違反の罪で懲役一年、四年間執行猶予(後に右執行猶予は取り消された。)に、昭和五五年九月に児童福祉法違反の罪で懲役一年八月に、昭和五九年一一月に覚せい剤取締法違反及び道路交通法違反の罪で懲役二年一〇月及び罰金五〇万円(前記累犯前科の項記載のとおり、右懲役刑の前科は、判示第一の犯行との関係で累犯前科に当たる。)に処せられているほか、業務上過失傷害及び傷害の罪で二回罰金刑に処せられている。被告人Bは、昭和五八年四月に銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反及び賭博の罪で懲役二年及び罰金二万円、右懲役刑につき四年間執行猶予保護観察付き(右執行猶予はその後取り消された。前記累犯前科の項記載のとおり、右懲役刑の前科は判示各犯行との関係で累犯前科に当たる。)に、昭和五九年二月に恐喝罪で懲役一年四月に処せられているほか、暴力行為等処罰に関する法律違反、神奈川県青少年保護育成条例違反、業務上過失傷害及び道路交通法違反の罪で四回罰金刑に処せられている。したがって、以上の諸事情に照らし、被告人両名の刑事責任はいずれも決して軽くないといわざるを得ない。

しかしながら、他方、先にも検討したとおり、判示第一の犯行は、Cが首謀者であり、被告人両名が右犯行に加わったことについては、犯行前にCからけん銃を発砲されるなどという出来事があったため、やむを得ず同人の指示に従ったという側面もあったと認められること、現在では、両名とも本件各犯行について反省の態度を示していること、被告人Aについては、本件各犯行後の平成四年七月に婚姻し現在子供も一人いること、被告人Bについては、本件後暴力団から脱退したこと、同被告人の妻子が被告人の帰りを待っていることなど、被告人両名に有利な事情も認められるので、これら被告人らに有利、不利な一切の事情を合わせ考慮して、被告人Bについては酌量減軽した上、前示のとおりそれぞれ刑を量定した次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 円井義弘 裁判官 河合健司)

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